沿革

内容
昭和28(1953)年 10月 日本民俗学会、(財)日本民族学協会・日本人類学会、日本常民文化研究所は、文化財保護委員会に民俗博物館の設置を建議。
昭和41(1966)年 11月 総理府に設置された明治百年記念準備会議は、記念事業の一つとして「歴史民族博物館の建設」を採択し、閣議に報告、承認された。
昭和42(1967)年 8月 文化財保護委員会は、この年度から調査費を計上し、歴史博物館設立準備懇談会(座長・坂本太郎)を設立し、昭和45年末まで博物館の性格、内容について検討。
昭和45(1970)年 文化庁は、建設予定地を千葉県佐倉市に内定。
昭和46(1971)年 11月 文化庁は、国立歴史民俗博物館(仮称)基本構想委員会(委員長・坂本太郎)を発足させ、同博物館の基本構想の検討を開始。
昭和50(1975)年 4月 文化庁は、国立歴史民俗博物館(仮称)設立準備費を計上。
6月 基本構想委員会は、「国立歴史民俗博物館基本構想」をまとめ解散。
9月 国立歴史民俗博物館(仮称)設立準備委員会(会長・坂本太郎)発足。組織運営、展示収集、施設計画等について検討を開始。博物館の基本設計を実施。用地の一部の有償所管換を受ける。
昭和52(1977)年 主要施設建設用地(約10万㎡)の無償所管換を受けるとともに施設整備に着手。
昭和53(1978)年 4月 国立歴史民俗博物館(仮称)設立準備室(定員8人)が置かれ、井上光貞東京大学名誉教授が室長に就任。
4月 建設予定地において、起工式を挙行、以後建設省関東地方建設局監督のもとに昭和55年10月まで施設整備が進められる。
昭和54(1979)年 4月 設立準備室(定員12人)は、情報システムの検討を開始。
6月 設立準備委員会において、国立歴史民俗博物館(仮称)の組織運営面の検討を深めた結果、その中心機能を日本の歴史及び文化に関する調査研究におき、情報提供及び展示をすることが了承された。
12月 歴史、考古、民俗の関係学会から研究、情報提供機能の充実について要望を受ける。
昭和55(1980)年 4月 設立準備委員会は、「国立歴史民俗博物館(仮称)の適切な運営を確保するために、大学を中心とする全国の関係研究者の有機的な協力により調査研究、情報提供等を進める体制が必要である。」として国立民族学博物館の在り方と同様な組織運営が望ましいとの意向を表明した。
6月 学術審議会(会長・吉識雅夫)は、設立準備委員会の意向を受けて検討した結果「国立歴史民俗博物館(仮称)は、国立大学共同利用機関として設立することを基本的に了解する。」との意見をまとめた。
10月 本体施設の建設工事が完成し、引渡しを受けた。敷地の残り(約3万㎡)について所管換を受け、用地の取得が完了した。
12月 国立歴史民俗博物館(仮称)を国立大学共同利用機関として設置するために必要な経費が国立学校特別会計予算案に計上された。
昭和56(1981)年 4月 国立学校設置法の一部が改正(昭和56年4月14日法律第23号)され、国立大学共同利用機関として国立歴史民俗博物館が設置された。
4月 井上光貞東京大学名誉教授・設立準備室長が初代館長に就任した(14日)。
昭和57(1982)年 4月 情報資料研究部に修復技術研究部門、歴史研究部に村落研究部門(客員)、考古研究部に信仰遺跡研究部門(客員)、管理部に展示課がそれぞれ設置された。
8月 本体施設周囲及び駐車場等の環境整備が竣工した。
昭和58(1983)年 3月 井上光貞館長が逝去し、田中稔歴史研究部長が館長事務取扱となった(1日)。
3月 国立歴史民俗博物館開館式典を挙行した(16日)。
3月 第1展示室及び第2展示室を一般公開した(18日)。
4月 歴史研究部に近現代研究部門、考古研究部に遺跡環境研究部門(客員)、民俗研究部に文化伝承第二研究部門がそれぞれ設置され、民俗研究部の文化伝承第二研究部門(客員)が文化伝承第三研究部門(客員)に改称された。
4月 土田直鎮東京大学文学部教授が第二代館長に就任した(20日)。
11月 第3展示室を一般公開した(22日)。
昭和59(1984)年 3月 第1展示室及び第2展示室を拡充し、一般公開した(20日)。
3月 研究員宿泊棟が竣工した。
4月 考古研究部に生産遺跡研究部門が設置された。
11月 第3展示室を拡充し、一般公開した(1日)。
昭和60(1985)年 3月 第4展示室を一般公開した(12日)。
4月 民俗研究部に民俗誌研究部門(客員)が設置された。
昭和61(1986)年 1月 研究棟が竣工した。
昭和62(1987)年 3月 第3展示室を拡充し、一般公開した(17日)。
昭和63(1988)年 3月 第1展示室を拡充し、一般公開した(19日)。
平成元(1989)年 3月 第2展示室を拡充し、一般公開した(18日)。
6月 国立学校設置法の一部が改正(平成元年6月28日法律第29号)され、国立大学共同利用機関は、大学共同利用機関と改称された。
平成2(1990)年 4月 歴博データベースオンラインサービスを開始した(2日)。
平成3(1991)年 11月 創設10周年記念式典を挙行した(11日)。
シンボルマークを作成した。
平成4(1992)年 4月 企画調整官(教授併任)が設置された。
平成5(1993)年 1月 土田直鎮館長が逝去し、石井進企画調整官が館長事務取扱となった(24日)。
3月 石井進企画調整官が第三代館長に就任した(1日)。
3月 第5展示室の一部(文明開化)を一般公開した(18日)。
10月 開館10周年記念式典を挙行した(4日)。
平成6(1994)年 4月 展示支援システム(展示案内、映像・音声)のサービスを開始した(29日)。
平成7(1995)年 3月 第5展示室(産業と開拓・都市の大衆の時代)を一般公開した(18日)。
4月 歴史研究部に環境史研究部門が設置された。
9月 くらしの植物苑を開苑し、一般公開した(14日)。
平成8(1996)年 3月 第1展示室の一部(日本文化のあけぼの、稲と倭人)を暫定改善した(19日)。
6月 第三者評価委員会を設置し、研究活動や組織の現状について、評価分析を始めた。
平成9(1997)年 3月 第1展示室の一部(前方後円墳の時代、律令国家、沖ノ島)を暫定改善した(25日)。
7月 開館以来、入館者500万人を達成し、記念式典を挙行した(9日)。
9月 石井進館長が辞職し(8月31日)、佐原真企画調整官が第四代館長に就任した(1日)。
平成10(1998)年 3月 第2展示室の一部(王朝文化、東国と西国、印刷文化)を暫定改善した(3日)。
平成11(1999)年 11月 総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻が設置された。
平成12(2000)年 10月 第2展示室の一部(大名と一揆、民衆の生活と文化、大航海時代のなかの日本)を暫定改善した。
3月 入館者向け情報サービス(展示場案内、歴博紹介番組)を開始した。
平成13(2001)年 9月 宮地正人東京大学史料編さん所教授が第五代館長に就任した(1日)。
平成15(2003)年 11月 開館20周年記念式典を挙行した(17日)。
平成16(2004)年 4月 国立大学法人法(平成15年7月16日法律第112号)により、大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館となった。4研究部を1研究部4研究系に改組した。企画調整官を廃し、副館長(教授併任)を設置した。研究連携センター並びに歴史資料センターが設置された。
7月 館蔵資料の一部について、即日閲覧業務を開始した。
平成17(2005)年 9月 平川南大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事が館長事務取扱に就任した(1日)。
平成18(2006)年 4月 平川南大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事兼館長事務取扱が第六代館長に就任した(1日)。
平成19(2007)年 7月 副館長(館外担当)を設置した。研究連携センター・歴史資料センターを、研究推進センター・博物館資源センターに改編、広報連携センターを設置した。
平成20(2008)年 3月 第3展示室をリニューアルオープンした(18日)。
平成22(2010)年 3月 第6展示室を一般公開した(16日)。
平成25(2013)年 3月 第4展示室をリニューアルオープンした(19日)。開館30周年記念式典を挙行した(19日)。
平成26(2014)年 3月 総合研究棟が竣工した。
4月 久留島浩国立歴史民俗博物館教授が第七代館長に就任した。
平成28(2016)年 5月 国際交流棟が竣工した。
平成31(2019)年 3月 第1展示室をリニューアルオープンした(19日)。
令和2(2020)年 4月 西谷大国立歴史民俗博物館教授が第八代館長に就任した。