第2展示室
平安時代から安土桃山時代ころまでを展示しています。平安京の貴族の生活、武士の都・鎌倉、室町時代の京都や城下町の様子、さまざまな職業の発達や、アジアや西洋との国際関係などを紹介します。
①王朝文化(10〜12世紀)
平安時代には、それまでの唐風文化に代わって日本的特色をもったいわゆる国風文化(王朝文化)が花開きました。この文化は貴族的・女性的で都市的な要素を強くもっています。平仮名や片仮名の仮名文字が創出され、漢文によらずに、自由に日本語の文章を記すことができるようになったのもこの時期です。ここでは貴族たちが、どのような生活をおくったのかを中心に展示してあります。
入口からの展示場風景
藤原道長の邸宅「東三条殿」の復元模型など
王朝貴族の服装
男子では束帯(そくたい)が儀式の際の正装で、ほかに通常服の直衣(のうし)・狩衣(かりぎぬ)がありました。女子では女房装束(にょうぼうしょうぞく)が女官の正装でした。 (2024年5月28日から夏服に衣替えしました。)
調度を配した室内
12世紀末ごろの貴族の邸内の一部を推定復元したものです。
②印刷文化(8〜17世紀)
中国では、宋代になると印刷業が盛んになり、大量の書物の出版が行われ、日本にも多くの版本が輸入されました。その影響をうけて、日本でも平安時代中頃から仏教経典を中心にして、各種の書物の出版が本格的に行われるようになりました。その場所も、最初は京都・奈良周辺の寺院から、次第に地方にまで広まっていきました。またその対象も、仏書以外の儒書・漢詩文集から『源氏物語』等の仮名文学書にまでおよぶようになりました。なお、展示品は毎月展示替えをしております。
展示場風景
中国(宋代)や日本で出版された仏教教典及び典籍等の書物
宋版後漢書(国宝・12世紀
日本に輸入された宋版の一例。卑弥呼の記述で有名な東夷伝の部分。(複製)
③東国と西国(12〜15世紀)
東国と西国では、今日でも大きな文化的違いがあります。東国の鎌倉幕府と西国の京都という二つの政治的な中心ができた鎌倉時代は、その地域性がはっきり現われた時代です。一方、鎌倉時代には全国的な流通も発達し、東国と西国は強く結ばれていました。
板碑と鉄仏
東国独自の宗教文化を代表する板碑(いたび)と鋳鉄製の仏像。
鎌倉の都市構造模型
三方を山で囲まれ、一方は海に向って開けていた鎌倉の地形と主な建造物、町並などを復元。
流通と都市、瀬戸内海の交通
全国的な流通を背景に発達した平泉・十三湊(とさみなと)・草戸千軒などの地方都市遺跡。
④大名と一揆(15〜16世紀)
この時代、人々は地域や階層ごとに横断的な結びつきを強めていました。村々には自ら掟を定めたり、土一揆を起こしたりする動きがみられ、また地域の領主である国人(こくじん)たちも、一揆を結びました。これに対して大名は主従制にもとづく、一元的な権力による支配をめざしました。ここでは大名の館や、都市のあり様を展示しています。
展示場風景
朝倉氏本館復元模型・京都町並復元模型(戦国時代末ごろの京都四条室町)。
一乗谷朝倉氏本館復元模型(16世紀)
越前(福井県)の戦国大名朝倉氏の城下町一乗谷にあった朝倉義景の館を、発掘調査の成果に基づいて復元。
洛中洛外図屏風(右隻、16世紀)
歴博甲本(旧町田本)、上杉本、東博模本のレプリカなどを順次展示しています。歴博甲本はWebギャラリーで詳細にご覧いただけます。
Webギャラリーはこちら
⑤民衆の生活と文化(14〜16世紀)
下剋上の一語がよく示すように、中世後期は、底辺の民衆が歴史の表舞台にはなばなしく登場した時代です。民衆のエネルギーが開花し、農業や手工業技術はめざましく発展し、今日につながる多くの芸能も生まれました。
芸能と職人~展示場風景
田楽装束、大鋸引き。
大鋸(おが)引き
室町時代になると大鋸とよばれる縦引鋸が中国から導入され、初めて製材が可能になり、建築界に一大革新をもたらしました。
惣の寄り合いと農村展示風景
水力自転揚水車復元模型、疱瘡地蔵、徳政碑文。
⑥大航海時代のなかの日本(15〜17世紀)
東アジアには、中国を中心とする国際秩序がありましたが、ヨーロッパ勢力の東アジアへの進出はこの体制を崩し、また多くの文物をもたらしました。特に鉄炮とキリスト教の影響は大きく、戦国時代にあった日本では、戦いの方法が変化し、軍団編成や兵農分離が促進され、やがて統一政権が強力な中央集権国家を作りあげました。
展示場風景
御朱印船模型(17世紀初)
キリシタン
約一世紀の間、宣教師がもたらした西洋文化は、日本人の生活と文化に大きな足跡を残しました。
鉄砲伝来
日本の鉄砲は火ばさみの向きや機関部が西洋のものと異なっており、形式から東南アジアで改良されたものと推測されます。